2026年8月26日水曜日

013:各論3(いかに市民に告知・アピールするか):第三次実験ノート提訴時の記事 2026.8.26

情報公開裁判の目的は裁判自体の勝訴というより、裁判を通じ、政府が隠蔽している情報が市民にとってどれくらい重大な、重要なものであるかをひとりでも多くの市民に認知、理解してもらうことにある。
そのためには、情報公開裁判を市民にどう知らせるか、その告知の仕方がとても重要。つまり、市民に何を伝えたいのか、その核心をズバリ示す必要がある。しかし、それは言うは易き、行い難しだ。
以下は、7年前、農研機構の極めて問題のある遺伝子組換えイネの野外実験に対し、第三次の実験ノート裁判を提訴した(>その報告)ときのニッポン消費者新聞に掲載された記事(2019.9.1)。
今、再読して別に誤ったことを語っている訳ではないが、このときには、無我夢中で自分が市民に訴えたいことを訴えたにとどまり、対する市民の側がいったい何を知りたがっているのか、市民の心をまったく考えていなかった。人を見て法を説くことをまるっきりしていなかった。とはいえ、それは至難の業。しかし、これを考えずして、ただ己の信念を突き進むのだけでは、それでは、結局、対話は成立しない。対話への取り組みが決定的に欠けており、足りない。


2026年8月23日日曜日

012:総論10(腰が抜けそうになった行政裁量に関する革命的主張〔続き3〕):行政裁量に関する革命的主張だと思った小早川理論は羊頭狗肉で落胆、あとは自力で進むしかないと腹を括った。2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したもの。腰が抜けそうになった、行政裁量に関する革命的主張をしていた小早川光郎の発見の紹介の続き。ただし、ここでは彼の限界を発見し、落胆と再出発について書いた。

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Subject: [2019maxlaw:2330] 報告(続き3):行政裁量に関する革命的主張だと思った小早川理論は羊頭狗肉で落胆、あとは自力で進むしかないと腹を括った
Date: Wed, 1 Dec 2021 01:16:42 +0900

柳原です。

昨日、小早川光郎の見解を行政裁量に関する革命的主張だと紹介し、その後、彼の見解をトレースしてきました。

彼の次の問題提起、
> 行政裁量の中心的な課題とは、行政機関が案件を処理(行政行為)する際の判断基準が法定されていない場合、その判断基準の穴を補充することにある、と。
これは実に素晴らしい。
そこで問題は、その次の、
では、判断基準の穴を補充作業はいかにして行われるべきか
です。
この補充作業の具体化こそ、小早川理論の輝きの頂点になるはずのもので、それがどのように展開されるのか、固唾を呑んでトレースしてきました。

そしたら、何もない!この肝心要の補充作業の具体化が。彼の教科書にも、彼の論文にもない。

ふざけるんじゃないよ、これじゃ詐欺じゃん。素晴らしい問題提起をしておきながら、いよいよ本番の「補充作業の具体化」は未完だなんて、そんな羊頭狗肉は許せない!

こばやかわ、でじゃなくて、こばかにしやがって!だ。

そこで、ひとしきり反吐を吐いたので、気を取り直して、小早川理論の第2章を自力で展開することにしました。
その方針は、
補充作業の具体化のモデルは2つ。
1つは、法の欠缺の補充作業における具体化のやり方。
もう1つは、権利濫用、公序良俗など一般条項における具体的な判断基準の定立のやり方。

以下、その粗いスケッチを描いておきます。
1、法の欠缺の補充作業における具体化のやり方
(1)、石田穣(みのり)の「法解釈学の方法」の中に「法の欠缺の補充」について具体的な方法が述べてあり、それによると、
(a)、類推(解釈)
(b)、反対(解釈)
(2)、法哲学の本として、平野・亀本・服部『法哲学』の中に「法の欠缺の補充」について解説。
https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2018/03/18/202102

(3)、法学概論の本として、
金沢大学の授業のテキスト「2020年度「法学概論 基礎法学編」
http://law-kanazawa.info/wp-content/uploads/2020/07/20intro.pdf
   ↑
欠缺補充の主要な方法は類推(または類推推論)。

ちなみに、井戸さん担当の「学校環境衛生基準問題」。これは上記の「類推」の法理で一件落着です。つまり、既に定められている毒物に対する学校環境衛生基準、これと同等の基準が放射性物質についても類推して適用されるべきである、と。

以上、粗いスケッチでした。

このあと、精度を上げて具体論を展開したいと思います。

 

011:総論9(腰が抜けそうになった行政裁量に関する革命的主張〔続き2〕):日光太郎杉東高判決についての解説。2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したもの。腰が抜けそうになった、行政裁量に関する革命的主張をしていた小早川光郎の発見の紹介の続き。


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Subject: [2019maxlaw:2326] 報告(続き2):日光太郎杉東高判決についての解説
Date: Mon, 29 Nov 2021 10:39:33 +0900

柳原です。

これはコーヒーブレイク。

日光太郎杉東高判決についての超簡単で分りやすい解説です。多忙な光前さん、これなら2分で読めますよ。

「日光太郎杉事件」のこと

-------------------------------
「日光太郎杉事件」というのは,栃木県の日光東照宮(徳川家康を神格化した東照大権現を祀る)には,「太郎杉」と呼ばれる高度の文化的価値のある古木が存在するが,当時の建設大臣が道路拡幅のため,土地収用法20条を適用して,その「太郎杉」の伐採計画を含む土地収用裁決を行ったところ,この計画に反発した地元住民がその裁決の違法を主張して起こした行政訴訟である。
この訴訟で,東京高裁は,建設大臣の土地収用裁決について,裁量権行使の方法・過程に違法があるという行政裁量をコントロールする新たな法的枠組を構築・判示し,当該土地収用裁決を取り消した。
曰く「(行政裁量の行使方法について)本来最も重視すべき諸要素・諸価値を不当・安易に軽視し,その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず,又は本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価」した場合には,「裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして,違法となる」, 「高度の文化的価値を持つ自然環境の保全は、国民が健康で文化的な生活を営む条件にかかわるものとして、行政の上においても最大限に尊重されるべきものであるから、これを道路建設のため収用するには、右の要請を越える必要性がなければならない」という。

現在の裁判官の圧倒的多数が,国に対する行政訴訟で,-原発訴訟といい,辺野古訴訟といい-,国の指定代理人から「行政裁量」の抗弁がでてきた途端に,「思考停止」してしまい,私人の側を負けさせるといった嘆かわしい傾向・現実があること(その例外が,「絶滅危惧種」と呼ばれる藤山雅行裁判官等)を思うにつき,学生時代に学んだ「日光太郎杉事件」のことがつくづく思い出されるのである。

010:総論8(腰が抜けそうになった行政裁量に関する革命的主張〔続き〕):塩野・宇賀の不徹底な行政裁量論の壁を突破しようとした小早川理論が結実したのが日光太郎杉東高判決。2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したもの。腰が抜けそうになった、行政裁量に関する革命的主張をしていた小早川光郎の発見の紹介の続き。


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Subject: [2019maxlaw:2325] 報告(続き):塩野・宇賀の不徹底な行政裁量論の壁を突破しようとした小早川理論が結実したのが日光太郎杉東高判決
Date: Mon, 29 Nov 2021 10:15:27 +0900

柳原です。

昨日、書き始めて、別件でバタバタしていて、中断していました行政裁量論の革命的見解=小早川理論の続きを書きます。

1、問題の発端
私にとって、行政裁量論は、行政の独裁の正当化理論です。それは、行政法の基本原理として「法律による行政の原理」が認められたのに、行政裁量論はたとえその必要性が認められるとしても、この基本原理の重大な例外を認めることになるのだから、その例外を容認するためには、厳密な正当化の根拠の説明が求められます。
にもかかわらず、これまで通用してきた「行政裁量権の逸脱と濫用」の説明では、単に「社会通念上著しく妥当性を欠いたかどうか」で違法性を判断するという、極めてザルの判断手法が取られて来ました。
その結果、事実上、行政の独裁(専横)がまかり通って来ました。

この理不尽さを、塩野も、教科書の裁量論のところで指摘しておきながら、その矛盾の解決を正面から立ち向かおうとせず、実にコソコソと遠慮深く記述しており、その中で用心深く指摘したのが、
日光太郎杉東高判決(昭和48年7月13日)
です。この判決要旨のエッセンス部分
「本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽すべき考慮を尽さず、または本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価し、これらのことにより同控訴人のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には、同控訴人の右判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして、違法となる」
まで紹介しておきながら、なぜ、このような判断手法が正当化されるのか、その根拠となる理論的な説明は一切せずに、せいぜい、そのあと、この重大判決が最高裁によって骨抜きにされていく過程をおそるおそる紹介するにとどまっています。

この塩野の耐えられないほどの用心深さに、正面から切り込み、日光太郎杉東高判決が示した判断手法の理論的な基礎を提供したのが、
昨日紹介した佐々木惣一=小早川光郎理論です。

それは、これまで行政裁量の領域では、行政の合目的な判断が尊重されるという名目で、行政独裁を正当化してきたのに対し、「待て!そんな専横は許されない」と、行政の合目的な判断過程に、再び、
判断基準に関する規範の再導入を目論んだものです。

だから、これは結局、この規範の再導入によって「規範による行政の原理」が実現したことになり、その意味で、これは「法律による行政の原理」の再定義です。
             ↑
この理論が政府権力者を激怒されることは当然予想されることで、彼らの反論はまず、
「そもそもそんなだいそれた理論はいったい何を根拠に主張できるのか。その根拠を示せ」
として現れると思います。
             ↑
私も、ここが最も気になるところで、革命的な主張は、非合法で主張するにひとしいものだとしたら、その理論的根拠なんか示せないんじゃないかと思ったからです。
しかし、小早川は、この根拠(の1つ)について、さり気なく、何の衒いもなく、ぬけぬけとこう書いていたのです。
「明文の定めがなくても当然に予定されているものと考えられる」(昨日アップした論文393頁1行目)
             ↑
何と!何という大胆不敵さ。これだったら、何でも言えるじゃん、殆ど「非合法の主張」と紙一重じゃん。と思って、上記の記述の注(21)を読むと、こう書いてあります。
「このような行政の考慮義務の観念(←上に指摘した判断基準に関する規範)は、佐々木惣一が『行政機関が自由裁量の職権を有する場合には誠実に考量してその活動の直接の標準を選択するを要する』と説いているところに、すでに含まれている。それは、公務員のいわゆる忠実義務の一部をなすものでもあると考えられる。
             ↑
つまり、行政の本質=私益ではなく、もっぱら公益のために奉仕する公務員の職権行使にあたって、誠実な行使、忠実義務から導かれるのだ、と。
まあ、「法律による行政の原理」よりもっと根本に遡り、民主主義の大原理に立ち帰って、行政の裁量行為をこう再定義したんですね。            
私は、小早川のこの徹底した原理主義者ぶりに、あっぱれと感服した次第です。

そして、小早川が彼の理論を具体化、結実化したものとして、塩野が裁量統制のリーディングケースとして推奨する日光太郎杉東高判決となります。
つまり、塩野が説明しなかった、なぜ日光太郎杉東高判決のロジックが裁量統制の一般論として認められるのか、その正当化の根拠を示したのが佐々木惣一=小早川光郎理論です。

それゆえ、最高裁が日光太郎杉東高判決を心底敵視していることはミエミエです(最高裁HPにも掲載されていない!)。
しかし、塩野、小早川、宇賀をはじめ学者がこぞって推奨する日光太郎杉東高判決の徹底活用が、私どもの二審の決め手になると考え、その理論的な正当化を示すために、佐々木惣一=小早川光郎理論を紹介しているところです。

この稿、続く。



先日の弁護団会議で、予告しました、今週末に行政裁量論を準備するという件、昨日、それを初めて、夜中にビックリ仰天、腰を抜かすような学説に出会いました。

1946年京都生まれの行政法学者小早川光郎の教科書と論文です(添付しました。論文は388頁以下)。

そのポイントは、
行政裁量の中心的な課題とは、行政機関が案件を処理(行政行為)する際の判断基準が法定されていない場合、その判断基準の穴を補充することにある、と。
            ↑
これって、法の欠缺の中心的な課題と同じじゃないか。なぜなら、法の欠缺も事実関係に対応する法定めがない場合、その穴を補充することにあるからです。

これまでずっと、法の欠缺の克服という課題は、311以後の最大の法律問題だと思って、その意義を考えて来ましたが、ここに来て、その思想が行政裁量でも妥当することを、理論的に示してくれたのが小早川でした。

しかも、小早川がこの見解の拠って立つ基盤は、今から90年前の京大の行政法学者佐々木惣一の「行政機関の自由裁量」です。
行政裁量の最先端の議論がすでに、90年前、美濃部と佐々木によって主張されていたとは、この90年間、何やってたんだと思います。
ちなみに、この2人はともに学問の自由の弾圧を受けた当事者です。何かすごい連中ですね。

この論点、続く。

009:総論7(腰が抜けそうになった行政裁量に関する革命的主張):行政裁量の中心的な課題は法の欠缺のそれと同じだ、と。2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したもの。腰が抜けそうになった、行政裁量に関する革命的主張をしていた小早川光郎の発見の紹介と自問自答。

コメント

どちらも補充する点は共通だが、ただし、法の欠缺は「法の解釈」のレベルで補充するのに対し、小早川の補充は「法の解釈」ではなく、「行政裁量の中の基準」にとどまるのではないか。その結果、たとえこの基準に違反しても、違法にはならず、単なる当不当のレベルにとどまるのではないか。

        ↑

それに対し、上記の基準違反を違法と言うためには、小早川の議論を「法の解釈」として主張する必要があるが、そのためには、その根拠、正当理由が必要。問題は、それはどこに見出せるか?にある。

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Subject:     [2019maxlaw:2324] 報告:腰が抜けそうになった行政裁量に関する革命的主張:行政裁量の中心的な課題は法の欠缺のそれと同じだ、と。
Date:     Sun, 28 Nov 2021 15:03:51 +0900

柳原です。

先日の弁護団会議で、予告しました、今週末に行政裁量論を準備するという件、昨日、それを初めて、夜中にビックリ仰天、腰を抜かすような学説に出会いました。

1946年京都生まれの行政法学者小早川光郎の教科書と論文です(添付しました。論文は388頁以下)。

そのポイントは、
行政裁量の中心的な課題とは、行政機関が案件を処理(行政行為)する際の判断基準が法定されていない場合、その判断基準の穴を補充することにある、と。
            ↑
これって、法の欠缺の中心的な課題と同じじゃないか。なぜなら、法の欠缺も事実関係に対応する法定めがない場合、その穴を補充することにあるからです。

これまでずっと、法の欠缺の克服という課題は、311以後の最大の法律問題だと思って、その意義を考えて来ましたが、ここに来て、その思想が行政裁量でも妥当することを、理論的に示してくれたのが小早川でした。

しかも、小早川がこの見解の拠って立つ基盤は、今から90年前の京大の行政法学者佐々木惣一の「行政機関の自由裁量」です。
行政裁量の最先端の議論がすでに、90年前、美濃部と佐々木によって主張されていたとは、この90年間、何やってたんだと思います。
ちなみに、この2人はともに学問の自由の弾圧を受けた当事者です。何かすごい連中ですね。

この論点、続く。

008:総論6(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察(ラスト):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について反動期の誕生の理由

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその6。

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Subject: [2019maxlaw:2394] 行政裁量論の基本問題(10):歴史的考察(ラスト):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について反動期の誕生の理由
Date: Mon, 10 Jan 2022 23:06:38 +0900
From: Toshio Yanagihara <noam@topaz.plala.or.jp>
Reply-To: 2019maxlaw@googlegroups.com
To: 2019maxlaw@googlegroups.com

柳原です。

先ほど来、日本の行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる論争史を4つの段階で区切って検討して来ました。

現時点の課題は、第3期の反動期を克服することですが、その際にずっとその理由が分らず気になっていることがあります。それが、
行政裁量論の問題の設定の仕方を、それまでの「あれかこれか」(羈束行為か自由裁量か)から、「あれでもこれでもなく、さらにその奥がある」といった新しい次元の切り口に進んでいったとき、
そこで、なぜ、「裁量権の逸脱・濫用」論が復活してのさばっているのか、です。

問題設定を新しい次元の切り口にしたからといって、そこから論理必然的に「裁量権の逸脱・濫用」論が登場する理由はないからです。

しかし、言いにくいことですが、その訳も意外と簡単なのではないかと気が付きました。
第3期に突入した時点で、新しい次元の切り口で問題を設定した時、求められていたことは、この新しい次元の切り口での問題提起に対し、それに相応しい問題解決の判断基準を建てることでした。
しかし、思うに、行政法の学者先生は、この課題に応えるべく、新しい判断基準を提出しなかった(本人たちは出来なかったと感じているのでしょうが)。
その結果、問題解決の判断基準の部分が空白となり、いわば「法の欠缺」状態となってしまった。
しかし、新しい次元の切り口で問題を提起した以上、何かしらの判断基準を使って解決を引き出すことが避けられない。そこで、その時に登場したのが、昔から口にされてきた古色蒼然たる理論「裁量権の逸脱・濫用」論だった。
これが魅力的な理論ではないことは、判断を迫られた現場の裁判官たちも重々承知していたはずです。しかし、じゃあ、自分で独力で、この問題解決の判断基準を作り出すなんて、藤山裁判官以外は無理。そこで、彼らは、(しぶしぶかまあ、いいか思ったかは別にして)「裁量権の逸脱・濫用」論を使うことにした。

こうした判決の積み重ねが、とうとう、「裁量権の逸脱・濫用」論の堂々たる復活となって、ゆるぎない地位を占めるに至った、というわけです。

この事態を見て、塩野は「裁量権の逸脱・濫用」論が定着していると教科書で嘆いていましたが、それを言うんだったら、学者として飯を食っている自己批判が先だろと言いたい。
あんたみたいな学者が、新しい次元の切り口で問題提起したことに相応しい問題解決の判断基準を出してくれないから、判断基準の「法の欠缺」状態を回避するために、裁判官は裁量権の逸脱・濫用」論によるしかなくなり、そのうち、それが習い性みたいになってしまった。

今の事態を嘆く前に、己の非力さを猛省して、師匠の田中二郎も不徹底だった「憲法の大転換に匹敵するだけの行政法の大転換」という原点に立ち返って、この問題に対する新たな判断基準を建てることに励むべきです(塩野は90歳でまだ生きているので、彼のケツを叩いている)。

そして、この問題に対する新たな判断基準を建てた人がいる。白石裁判長らの日光太郎杉事件判決です。
尤も、亘理格という行政法学者は、その後の裁判官たちが、この白石コートの判決を踏襲しようとしなかったことをなじっていますが、必ずしもそうとは思いません。
小田急高架化訴訟でも一審の藤山判決もこれをひっくり返した高裁判決も共に日光太郎杉事件判決のロジックを使っているし、
先日の沖縄の辺野古埋め立て工事の裁判で、最高裁の多数意見と反対の少数意見はともに、日光太郎杉事件判決のロジックを使っている。
要するに、どちらにも使えるような未完成の判断基準の面があり、そこで、「憲法の大転換に即して行政法の大転換」という基本原理からその未完を完成させる必要がある。

ここに、行政裁量論の具体的問題の課題が示されていると思いました。

以上で基本問題の検討は終わり。

塩野にボロクソでしたが、では、この各論の道を突き進みたいと思います。

 

007:総論5(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察歴史的考察(続き4):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める(その3) 2026.8.24

 以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその5。

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Subject: [2019maxlaw:2392] 行政裁量論の基本問題(9):歴史的考察(続き4):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める(添付ファイルの解説)
Date: Mon, 10 Jan 2022 22:10:19 +0900

柳原です。

先ほど、日本の行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる論争史を4つの段階で区切ってみると、次のように言えるのではないかと書きました。
【第1期】貴族の改革(と挫折):戦前の大正デモクラシーの理論家でもある美濃部達吉、佐々木惣一らの明治憲法下における「法律の留保」論←しかし、天皇機関説、京大事件などで彼らは追放、迫害に遭い、挫折。
【第2期】大衆の変革:ポツダム宣言受諾後に、天皇主権から人民主権に憲法が大転換を遂げ、この大転換に相応しく、どれだけ行政法も転換するかをめぐる論争→羈束行為か自由裁量か(黒(拘束)か白(自由)かをめぐる)論争
【第3期】支配者の反動:終戦から5年後にGHQの反動、再軍備スタート。共産党員の追放(「追放」をめぐるあべこべの事態出現)、憲法改正論議。民主化の春の終焉を受け、行政法の裁量論も羈束行為か自由裁量かを相対化し、結果的に自由裁量論の復活(田中学説)。
【第4期】激動の再定義:311の激動を契機に、この間の行政法学者の停滞、思考停止を打破し、未完の革命である「憲法の大転換に即して行政法の大転換」の継続・再定義に向かう。

そして、この論争史の4つの段階を図示したファイルを添付しましたが(後注:末尾の画像の通り)、解説が何もないと折角の図示が分らないので、解説します。

戦前から戦後にかけて(第1期から第2期)、行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる議論は、もっぱら、
「当該行政庁の措置は羈束行為か自由裁量か」
として論じされてきました。この論点の形自体に戦前と戦後で「切断」はありません。
ところで、図は座標軸のようなものを意識して、いわゆるX軸に、この論争に対する学者の見解をⓐからⓖまで、並べました。
各見解の名称とその中身は、添付の杉村敏正の『「法律の留保」論に関する覚え書』の31頁以下に解説してあります。
そのイメージは、
ⓐは明治憲法下における美濃部らの見解で、基本的に「人民の自由と財産を侵害する行政の行為は、法律の定めによることを要する」というものです。
ⓐから左側に行くにつれ、羈束行為である範囲が拡大して行き、一番左のⓖは「完全全部留保説」といわれるもので、かつて杉村が主張し、のちに厳しすぎるというので、ⓕの「原則的完全全部留保説」に修正したものです。
      ↑
ともあれ、ⓐからⓖまで7つの見解の共通点は、「羈束行為か自由裁量か」を問うものであることです。その際、人民主権に大転換した日本国憲法の基本原理を最大限活かしたいと考える者は限りなく左側に近づいていきました。
      ↑
そこからみると、そのあとの第3期の議論の枠組みは、或る種の困惑を与えます。
折角、いかにして自由裁量の余地を狭めようと努力してきたのに、その努力がまるで水の泡になるような気分に襲われるからです。
この点について、この間、読んできた亘理格という行政法学者は、単に、この問題への接近の仕方が変化したと言うばかりで、なぜ、どうしてそのように変化したのか、その必然性、必要について、その理由を明らかにしません。だから、ものすごく消化不良でムカつく。
      ↑
そして、第3期の最大の問題は、行政裁量論の問題を、新たな視点で捉え直した結果、当該措置が違法になるのは、結局のところ、昔から言われてきた「裁量権の逸脱・濫用」の場合に限られる、という手法が正当な理由を明らかにすることもなく、何気なく復活し、でんと定着してしまったことです。
           ↑
この第3期における最大の特徴が、新たな視点で問題を立てた結果、当該措置の違法は「裁量権の逸脱・濫用」の場合だという見解です。これこそ歴史の4つの段階の3番目「支配者の反動」に相応しい反動的な理論です。
この古典的な保守反動の議論を打破するために、改めて「行政裁量論の再定義」に挑戦し、「裁量権の逸脱・濫用」論に風穴を開けるべく、励む必要がある。それが今、第4期の中にいる私たちのミッションです。

       ※行政裁量論をめぐる行政法学の論争史(2022年1月10日)



006:総論4(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察歴史的考察(続き3):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める(その2) 2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその4。

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Subject: [2019maxlaw:2391] 行政裁量論の基本問題(8):歴史的考察(続き3):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める
Date: Mon, 10 Jan 2022 20:22:30 +0900

柳原です。

本論の、行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる4つの歴史的段階について。

歴史を4つの段階に分けて眺めるというのは、イギリスの歴史家がお隣のフランス革命の歴史を検討する中で、歴史の激動期・大変動期はだいたい次の4つの段階を経ると指摘していたことにヒントを得たものです。
(そのダイナミズムのイメージを雑駁な図で示すと、右の矢印です) 
1、貴族の改革・反抗(上からの改革)   →
2、大衆の急進的な変革・反抗   ----→
3、支配者の反動               ←----
4、激動(2の変革)の再定義       -→  

きわめて大雑把ですが、この4段階のプロセスを1789年のフランス革命、1917年のロシア革命、日本の明治維新、日本の戦後にそれぞれ当てはまてみると、次のように言えるのではないか。
1、貴族の改革:深刻な財政危機を、まずネッケルら貴族が上から改革を試みる。
2、大衆の変革:バスティーユ襲撃以後、改革の担い手は、裕福な商工業者(ジロンド派)へ、さらに一般大衆(ジャコバン派)へ。急進的から恐怖政治へ。
3、支配者の反動:5年後にテルミドールの反動で、ジャコバン派の粛清・排除。その後、ナポレオンのクーデタ、ブルボン王朝の復活と反動が続く。
4、激動の再定義:1848年の二月革命で共和制復活。1852年のルイ・ナポレオンのクーデタで帝政復活。普仏戦争後、1870年に第3共和制復活と行きつ戻りつ。ここまで来て「フランス革命が再定義」され、君主制が否定され共和制が確立。

1917年のロシア革命
1、貴族の改革(と挫折):1904年の血の日曜日事件のあと、首相ストルイピンが上からの改革に取り組む(のちに暗殺)。
2、大衆の変革:第一次世界大戦の激動の中、1917年、ロマノフ王朝崩壊。政権の担い手は資本家の代弁者らへ(2月革命)。さらに労働者農民ら一般大衆へ(10月革命)。
3、支配者の反動:1929年、スターリンの富農の粛清を皮切りに、反対派の粛清が続く。
4、激動の再定義:1956年、首相フルシチョフによるスターリン批判で、「ロシア革命の再定義」の初めての試み。

日本の明治維新
1、貴族の改革:幕末に、有力藩主による幕藩体制の改革(公武合体論)。
2、大衆の変革:幕府の権威失墜の中で大政奉還(崩壊)。内戦(戊辰戦争)を経て、明治4年の廃藩置県で政権の担い手は大名から木戸、大久保ら急進派下級武士へ。
3、支配者の反動:明治6年征韓論クーデタで進歩派の江藤新平下野。明治14年のクーデタ、政府進歩派の大隈派、慶応義塾派を全て追放。
4、激動の再定義:「明治維新の再定義」をスローガンに掲げる自由民権運動の高揚により明治22年、東アジア発の立憲政治(明治憲法制定)がスタート。

日本の戦後
1、貴族の改革(と挫折):ポツダム宣言受諾後、近衛らが「天皇主権」を前提にした国体・旧憲法の改革(人民主権を求めるGHQから「天皇主権」を否定)
2、大衆の変革:軍国主義者らの追放、治安維持法の廃止、農地改革、人民主権の憲法制定、社会党政権の誕生。民主化の春到来。
3、支配者の反動:5年後にGHQの反動で、再軍備スタート。共産党員の追放(「追放」をめぐるあべこべの事態出現)、憲法改正論議。民主化の春の終焉。
4、激動の再定義:15年後の六十年安保で、「戦後民主主義の再定義」が始まる。

そこで、この考え方を日本の行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる論争史に当てはめると、次のように言えるのではないか。
【第1期】貴族の改革(と挫折):戦前の大正デモクラシーの理論家でもある美濃部達吉、佐々木惣一らの明治憲法下における「法律の留保」論←しかし、天皇機関説、京大事件などで彼らは追放、迫害に遭い、挫折。
【第2期】大衆の変革:ポツダム宣言受諾後に、天皇主権から人民主権に憲法が大転換を遂げ、この大転換に相応しく、どれだけ行政法も転換するかをめぐる論争→羈束行為か自由裁量か(黒(拘束)か白(自由)かをめぐる)論争
【第3期】支配者の反動:終戦から5年後にGHQの反動、再軍備スタート。共産党員の追放(「追放」をめぐるあべこべの事態出現)、憲法改正論議。民主化の春の終焉を受け、行政法の裁量論も羈束行為か自由裁量かを相対化し、結果的に自由裁量論の復活(田中学説)。
【第4期】激動の再定義:311の激動を契機に、この間の行政法学者の停滞、思考停止を打破し、未完の革命である「憲法の大転換に即して行政法の大転換」の継続・再定義に向かう。

この論争史の4つの段階を図で示したのが添付のワード文書です。
この間、読んできた亘理格という行政法学者の「公益と行政裁量」の中で、彼が行政裁量論の論争が、それまでの論点であった「羈束行為か自由裁量か」が、或る時点から「相対化された」と書いていたのを図にしたものです。
問題は、「相対化された」という意味ですが、これはそれまで、「羈束行為か自由裁量か」でケリがついていたのが、それだけではケリがつかなくなり、「たとえ自由裁量が認められる場合であっても、なお行政庁の具体的な措置が違法と判断されるのはいかなる場合か」という議論をする必要がある、ということです。
その典型が、昭和48年の日光太郎杉高裁判決で、この判決は地裁判決が「建設大臣の措置は羈束行為だ」と判断してその違法性を導いたのに対し、この判断を否定し、建設大臣には裁量の余地が認められるとした上で、なお、本件の建設大臣の措置には手続き的な過程に照らして違法と判断せざるを得ないという結論を導きました。
つまり、ここでの論点は「羈束行為か自由裁量か」ではなく、「たとえ自由裁量の余地が認められるとしても、なお違法ではないか」というものに変更されたのです。
           ↑
しかるに、この論点の変更は、行政裁量に対する厳しい司法的統制を発揮する機会をもたらしたか、というと、そうはならず、せっかく、素晴らしい日光太郎杉高裁判決が出現したにも関わらず、この判決のエッセンスを承継する判決はかすかに、藤山雅行裁判長の民事3部判決か、先日の沖縄辺野古埋め立て工事につき、県知事がサンゴ移植の許可を出さなかった裁量権の裁判の宇賀・宮崎少数意見ぐらいでしょうか。

この日光太郎杉高裁判決が残した遺産をいかにして継承するか、これが第4期の課題であり、この課題を上記の亘理格という行政法学者も取り組んでいますが、彼のアイデアには強烈なインパクトがなく、惹かれるところがありません。
その原因をつらつら考えていて、改めて分ったことは、第4期の以下の論点
「たとえ自由裁量が認められる場合であっても、なお行政庁の具体的な措置が違法と判断されるのはいかなる場合か」
これの決め手は、究極的には、憲法の大転換に求めることができるのだと思います。つまり、
行政権は天皇の専権であるという考え方は、天皇主権が否定され人民主権が確立した日本国憲法の下ではもはや通用しない。
人民主権の日本国憲法のもとでは、国政は国民の厳粛な信託によるものであるから、行政権の行使も国民の意思にもとづいて国民のためになされなければならない。
とすれば、代表民主制を採用した日本国憲法下においては、行政権は、国民の代表機関である国会の法律という形式で表示された国民の意思を現実化するものとして発動されなければならない。
まずはこの大原則の観点から、「行政庁の具体的な措置が違法と判断されるのはいかなる場合であるか」を検討していく必要がある。
         ↑
この原理を確認するところからスタートして、第4期の課題の解決に具体的に取り組んでいくこと。これが肝要である。

ここまで書いて、我ながら、行政裁量論の基本問題はほぼスッキリしました。
今度は、これを踏まえて、ようやくですが、各論の問題を片付けたいと思います。

005:総論3(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察歴史的考察(続き2):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める 2026.8.24

 以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその3。


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Subject: [2019maxlaw:2390] 行政裁量論の基本問題(7):歴史的考察(続き2):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める
Date: Mon, 10 Jan 2022 18:18:40 +0900

柳原です。

昨日から「唐人の寝言」と見まがうような意味不明の文章を書き連ねておりますが、その心はもっぱら、絶対の確信を抱いて本裁判の行政裁量論の主張をしたいがためです。なので、今しばらくご容赦下さい。

1、前置き
先ほど、田中二郎の「法律による行政」の原理(法治主義)の捉え方を紹介しましたが、その検討をしていて、彼の教科書には、自分の見解を師匠の美濃部達吉の考え方に帰依し、依拠しているのだと言わんばかりの書きっぷりをしているわけですが、
しかし、改めて思うに、田中二郎は、たとえその動機において師匠の美濃部学説を最大限尊重しようという純粋な気持ちに裏打ちされたものだとしても、結果的に、彼がやったことは、師匠の美濃部学説を根本から踏みにじる背徳者という役回りを演じてしまったと思う。
その理由は単純で、法治主義に関する美濃部学説の基本的な大前提は、
行政法の上位規範である憲法に則して行政法を解釈し、そこから法治主義に関する見解も引き出した、ことです。
すなわち、ここでの「憲法」は明治憲法です。明治憲法における人権保障とは人民の自由と財産は「法律の留保」という限界の中で認められたもので(第2章)、この明治憲法の大原則に即して行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲も、
「人民の自由と財産を侵害する行政の行為は、法律の定めによることを要する」という結論を引き出しました。
       ↑
これが美濃部学説の基本スタンスだとしたら、そして田中二郎がこれを支持し、帰依するんだとしたら、同様に、
行政法の上位規範である憲法(ここでは明治憲法から大転換した日本国憲法)に則して行政法を解釈し、そこから法治主義に関する見解も引き出すべきです。
そのとき、人権保障を明治憲法のように限定的、制限的、外見的にしか保障しなかったのと異なり、抜本的に徹底した保障に改まった以上、その大転換に即して、行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲も大転換すべきです。
しかし、彼はそれをしなかった。師の根本思想を裏切って、師の結論だけを踏襲した、「現代の行政活動の複雑多岐」とかいう社会現象を大儀名文にして。それこそ、師の思想に対する度し難い裏切り行為だと思う。

戦後行政法学のリーダーの田中二郎がこんな体たらくだから、彼の娘婿で弟子の塩野宏も、またその弟子の宇賀も、裁量論で明快な議論なんかできないすよね。
       ↑
この行政法学界の絶望的な風景を前にして、
私は、思い切って、田中二郎の師匠である美濃部達吉に帰って考えるのが或る意味で、有益だと思うようになりました(←後注:「国敗れて3部あり」と唄われた藤山雅行裁判官も美濃部達吉の教科書を精読していた)。
例えば、彼は日本国憲法の制定に反対した。その理由は明治憲法の改正という方法では「不可能だから」と。その通りです。天皇に主権を認める明治憲法の「改正」で、主権を人民に変更することは明治憲法の自殺行為であって、不可能だからです。
こうした彼の論理の徹底性、透視力には一種の凄みがあり、その極みは彼の天皇機関説が攻撃された時の国会での彼の弁明演説(>こちら

だから、この「法律による行政」の原理の妥当範囲という問題も、美濃部の明快なところは、国際人権法でも登場する「序列論」つまり下位規範である行政法は上位規範である憲法に適合したものでなければならない、という基本原則に充実だったことです。
美濃部のこのすざまじいまでの論理の徹底性こそ、今の忖度行政法学者が最も学ぶべき点だと思うからです。
そして、その精神を最も受け継いでいるのが、直接の弟子でも何でもない、杉村敏正や今村成和たちです。
私も、杉村敏正や今村成和たちが受け継いだ精神のリレーの伴走者として参加したい。

以下、本論の、行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる4つの歴史的段階について書こうと思いますが、長くなったので、別便で書きます。

004:総論2(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察歴史的考察(続き):「憲法の大転換」と行政法以外の法律との対応関係:「民法の大転換」を当然のことのように考えていた 2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその2。

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Subject: [2019maxlaw:2389] 行政裁量論の基本問題(6):歴史的考察(続き):「憲法の大転換」と行政法以外の法律との対応関係:「民法の大転換」を当然のことのように考えていた
Date: Mon, 10 Jan 2022 12:10:35 +0900

柳原です。

昨日、
第二次大戦後の日本の法体系は、1945年8月のポツダム宣言受諾から始まった「憲法の大転換」、これを上位規範として各法律がどれだけ「憲法の大転換」に対応する大転換を行ったか、という視点から行政法を眺めた場合、その未民生ぶり、不完全ぶりは歴然としている、
ということを書きました。

行政法の「未完の大転換」ぶりを口をすっぱく説いた一人が、今は亡くなってしまった杉村敏正であり、今村成和たちだったことも知り、勇気付けられました。

この行政法の「未完の大転換」ぶりは、民法と比較した時、その違いが歴然とする。
それは我妻栄の民法講義Ⅰの冒頭に明確に示されています。
我妻曰く、
旧民法の親族・相続編が個人の尊厳を犠牲にした「家」制度に立ち、父と母、夫と妻、息子と娘の間の本質的平等を否定する多くの規定が設けられていたことを猛省し、戦後すぐに、親族・相続編の全面的改正を行い、それまでの「家」制度を徹底的に清算した。
形式的な自由・平等の原理を現実社会に適用した結果、貧富の格差、生存を脅かされるという深刻な問題を生じたことを猛省し、私権は社会化されなければならないという見地から、農地法、借地借家法、労働法の創設を行い、形式的な自由・平等がもたらす弊害に対し徹底的に対処した。
      ↑
そして、これらの法改正、法制定に積極的に関与したのが、この我妻栄その人です(もっとも、労働法の分野は先輩の民法学者末弘厳太郎ですが)。この意味で彼は、知行合一の人、本当の知は実践を伴わなければならないという教えを自ら実行した学者だった。
これに対し、行政法の学者はどうだったか?

戦後の民法学をリードしたのが我妻栄だとしたら、行政法学をリードしたのは田中二郎です。
その田中二郎は、上に述べた我妻栄が民法でおこなった「憲法の大転換」に対応する「民法の大転換」と比べられるような、「行政法の大転換」をやっただろうか?
田中二郎の足跡を詳細に追ったわけではないので、即断はできませんが、今まで読んだ限りでは、彼がとても「行政法の大転換」をやったとは思えない。
それは、彼の行政法に対する学問的姿勢から、如実にうかがわれるからです。
田中は、1957年に書いた「行政法総論」の中で、
「法律による行政」が及ぶ範囲は行政権の全てではなく、直接人民の権利義務に関係のない行政作用については、明示の法律の根拠に基づくことを要しないと解すべきである。また、人民の権利義務に関係のある場合でも、人民に補助、奨励的措置をなし、各種施設を設けて人民の使用に供することは、本来は、行政の自由活動に属する。
      ↑
この自説について参考文献として上げているのが、美濃部達吉、佐々木惣一‥‥の書で、それらはいずれも旧憲法下で構想された行政法の原理に関するもので、田中は、憲法が8月革命により大転換を遂げた事実なぞ存在しなかったかのように、平気で、戦前の学説を自説の根拠として紹介しているからです。
つまり、田中の頭の中では、戦前の行政法も戦後の行政法と連続していて、そこには我妻栄が民法で、徹底的な清算を試みたような「切断」の意識が皆無です。
戦後の行政法をリードした田中二郎からして、その頭の中は、戦前の行政法の基本原理のままの、旧態依然たるボンクラ頭であったため、彼をリーダーと仰ぐ弟子どもの頭の中も推して知るべしでした。
(以上の田中二郎の正体をズバリ指摘した杉村敏正の覚書『「法律の留保」論に関する覚え書』を添付します)

かくして、「未完の革命」にとどまっている行政法は、戦後も(杉村敏正や今村成和たちが頑張ったにも関わらず、それを遂に多数派には至らず)ずっと、この問題を解決できないまま、「行政庁の行政処分の現状を追認」するだけで、推移してきたのではないかと思います。

歴史は一人や二人で作るものではありませんが、20代の座右の書が「資本論」だった我妻栄が「民法の大転換」を果たせたことが、行政法のリーダーの田中二郎にできなかったことは「思想」の力の差があるのかなと思わざるを得ません。

最後は蛇足でした。

ちなみに、日本は第二次大戦後に過去を清算し、民主主義国家として再出発したと一般に言われていますが、しかし、日本の法体系のうち著作権法に関しては全く当てはまりません。
戦前の著作権法が戦後もずっと生き延び、そして今なお亡霊のように生きています。
そこには、旧民法の親族・相続編が個人の尊厳を犠牲にした「家」制度に立ったのと同様、クリエーターという個人の尊厳を犠牲にした「著作権」制度に立脚し、今なお「契約自由の原則」の名の下に、クリエーターと・アーティストと著作権ビジネスの企業との間の経済的格差が野放しのままです。
日本の著作権法は、日本が「世界の人権の最貧民国」の仲間であることを明確に示した、我々の恥部です。
著作権法を専門にやってきて、ずっとそのことを感じてきましたが、ここに来て、我々の恥部はほかにもあることが分りました。言うまでもなく行政法です。

003:総論1(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察:なぜ行政法学はかくも停滞、思考停止しているのか(その1):革命と反革命 2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその1。

なお、これに対し必ず次の異論が出るだろうーー行政裁量論と情報公開法の解釈とは、片や法の及ばない裁量論、片や法の解釈論であり、そもそも次元の異なる法律問題であるから、参考にならないと。だが、どちらもその問題の動機・背景(イデオロギー性)は同一であり(いずれも、いかに「法の支配」から行政権力の自由(厳密には恣意)を確保するかである)、単にその法的テクニック(裁量か法か)のちがいにすぎない。その意味で、情報公開法の解釈の本質的課題を自覚するためには、一度は、行政法の最大の論点である行政裁量論の論争史を把握しておくことが不可欠である。

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Subject: [2019maxlaw:2388] (誤字の訂正)行政裁量論の基本問題(5):歴史的考察:なぜ行政法学はかくも停滞、思考停止しているのか(その1):革命と反革命
Date: Mon, 10 Jan 2022 01:46:47 +0900

柳原です。

年末から読み始めた亘理格という行政法学者の、日本とフランスの行政裁量論を対比した「公益と行政裁量」、この最後のところを読んでいて、だんだんムカついてきて、ダメだ、これは。結局、ああでもない、こうでもないとグジャグジャ言っているだけで、論理の重箱の隅をつつくような煩瑣な議論に心底腹が立ってきました。
そして、この本で紹介していた、日光太郎杉高裁判決の先駆けとなった学説を以下のとおり紹介していたので、自宅近くの図書館で、その続編を借りて、読んだところ、目からウロコ、なんだ、こんなに単純明快な議論をする行政学者が日本にもおったのかと感激。
杉村敏正「法の支配と行政法」

しかも、この杉村が編集した行政法概説〈総論〉 (有斐閣双書) も、法治主義について明快な解説がしてあって、塩野や宇賀の教科書とは比較にならないなとこれまでの考えを改めました。
それに加えて、昔読んだ今村成和の行政法入門を再読したら、これも法治主義についてすこぶる明快な解説をしてあったのを発見。
これに比べたら、塩野も小早川も宇賀も歯切れの悪さがダントツ。
冒頭に紹介した亘理格は北大で、今村成和と一緒だったはずなのに、一言も今村のことが出てこない。これは意図的にスルーしているとしか思えない、それが彼の本の歯切れの悪さとリンクしている。

肝心な問題は、なにをもって「歯切れの悪さ・良さ」と言っているかですが、それは、
日本の行政法が根本的ないびつさを帯びていることについて、その原因の認識・解明に立ち向かっているか否かです。
その課題から逃げている学者の議論は歯切れの悪さが歴然としている。これに対し、その課題に立ち向かっている学者の議論は(仮にその見解が100%正しいかどうかは別にして)極めて明快です。
後者の筆頭が杉村敏正です。
この課題に対する彼の回答は、次の2つのロジックで構成される。
第1は理論的な問題。行政法の基本原理は、その上位規範である憲法の基本原理に基づき構成される。従って、憲法の基本原理が何であるかが決定的に重要である。
第2は歴史的な問題。日本の憲法は1945年8月のポツダム宣言受諾によりそれまでの天皇主権の立憲君主憲法から人民主権の民主主義憲法に大転換した。主権が天皇から人民に変更されたという意味で、これは革命である(憲法学の通説では八月革命と呼ぶ)。
       ↓
以上の2つから、日本において、行政法の基本原理を決定する憲法が1945年の8月革命により天皇主権から人民主権に大転換したのであるから、この「憲法の大転換」は本来であれば「行政法の大転換」をもたらすはずのものであった。
       ↑
しかし、現実の進行はそうはならなかった。
憲法自身は(日本政府が作成した松本案がGHQにより許否、GHQによりマッカーサー草案が作成され、これに基づいて政府が憲法草案を練り上げたという紆余曲折があったにせよ)ポツダム宣言に沿って、人民主権を明確にした憲法が制定された。
にもかかわらず、この「憲法の大転換」という考え方に即して、「行政法の大転換」まで実行されなかった。その背景にはGHQは行政法まで、憲法と同様の関心、注目を注いで「行政法の大転換」を監視しなかったせいがある。
その上、当の日本の市民自身が天皇主権を否定し、人民主権に立つことを実感、自覚することは容易ならざる(思想)問題だったという事情がある。
加えて、当時の行政権力を握っていた連中が、自分たちの行政権力を人民にやすやすと明渡すまいと必死の抵抗を試みたこと、つまり憲法の8月革命に対する反革命に打って出たことは(歴史の検証をしていないが)容易に推察されることである。 
       ↑
突き詰めて言えば、第二次大戦後の日本の市民革命の力量のレベルが、「行政法の大転換」まで引き起こすに至らなかったことを意味する。
この点を理解する上で、参考になるのが、日本と同様、それまで立憲君主制の憲法を持っていたオーストリアが第一次大戦後に行政法の転換を成し遂げた次の事実。
第一次大戦後までは、オーストリアの行政法は、「臣民の自由と財産権」の侵害の場合にのみ「法律の根拠」を要するとされて、「法律による行政」が及ぶ範囲が「自由と財産権」に限定されていたが、
第一次大戦の敗戦で、新たに共和国となり1920年に制定した共和国憲法18条1項は「すべての国家行政は法律の根拠にもとづいてのみ行使することができる」と定め、「法律による行政」が及ぶ範囲は行政権の全てと拡大された。つまり、行政の自由裁量論が否定された。
       ↑
丸山真男は、1946年に彼の戦後のデビュー作とされる「超国家主義の論理と心理」を書くのに半年間かかった、それは、それまで身についていた「天皇主権を否定するのは大変なことだったからだ」と告白している。
つまり、頭で「天皇主権を否定する」のは簡単かもしれないが、明治維新以来脈々と続いた「天皇主権を、思想として、実行として否定する」ことはそう簡単なことではなかった、むしろ大変なことだった。
その現れが、憲法では天皇主権から人民主権への大転換を認めながら、同時に、その具体化である行政法のレベルでは相も変わらず天皇主権的な発想である「行政権の自由な行使(自由裁量論)」がのさばることに強く抵抗しなかったことである。
       ↓
この意味で、憲法の大転換である8月革命は、行政法のレベルでは未完の革命にとどまっている。
その上、この「未完の革命」にとどまっているという認識すら「未完の認識」にとどまっている(無知、知らないでいる)。
そして、この「未完の革命」に対する無知な態度が、行政法学者の停滞、思考停止をもたらしている。
       ↑
その行政法学者の停滞、思考停止が、311のカタストロフィに対して、行政裁量に関する目を覆うような滅茶苦茶なロジックを平然と展開した昨年3月の遠藤判決に示されたように、行政法が全くといっていいほど無力、無気力であることの温床となっている。
       ↑
この行政法学者の停滞、思考停止を打破、風穴を開けるために、上に掲げた行政法の2つの基本問題に立ち帰って、「憲法の大転換」に相応しく、「行政法の大転換」を実行するという未完の永久革命(それは決まったゴールがないという意味で、終わりのない永久革命と呼ばれるのが相応しい)に遂行すべきである、と。

以下では、この観点に立って、議論を展開したいと思います(遅いので、別便で)。

2026年8月13日木曜日

002:各論2(被告はどこか):国の機関が下した不開示決定の取消を求める訴訟の被告はどこか 2026.8.14

 0、問題の所在
001で書いた通り、人権である「裁判を受ける権利」をめぐる課題とはーー市民の「裁判を受ける権利」が十分に保障されるかどうかが個別具体的な場面に照らし問われる、という段階にある。
その裁判の最初の場面が管轄(どの裁判所に提訴できるか)であり、もう1つの場面が被告(誰を相手に提訴できるか)である。

1、結論
処分を下した特定の行政機関を被告にする必要はなく、一律に国で足りる。

2、 歴史
2004年の行政事件訴訟法の改正前までは、処分又は裁決をした「行政庁(処分庁・裁決庁)」自身を被告としなければならない旨を定めていた(11条1項。2004年法改正の新旧対比表>こちら)。
しかし、これだと、複雑な行政組織の中で一体「どの行政庁を被告にすればいいのか」、国民の側はすんなり理解できず、迷いの中にほおり込まれる。もっとシンプルに「国を被告とする」だけで足りるはず(被告となった国にとって、それが自分の行政組織のどこの紛争かはすぐ分るから)。これが市民本位の考え方だ。
ところが、信じられないことに、この当たり前の市民本位の考え方が、戦後民主主義の中でも、ごく最近(2004年)に至るまでずっと無視され、行政本位の考え方(国・自治体を訴えるんなら、国・自治体の中のどの行政庁かを市民が調べ上げて来いと)がまかり通ってきた。裁判しようにも肝心の相手に近づくことすら許されず、カフカの不条理の世界の再現だ。

3、被告(適格)の構造ーー行政事件訴訟法11条ーー 

被告は、処分又は裁決をした「行政庁(処分庁・裁決庁)」ではなく、国となった。
それは一方で、市民本位の考え方に沿ったものであり、なおかつ、ほかの訴訟制度が採用している当事者適格の考え方、つまり
民事訴訟や公法上の当事者訴訟では権利義務の主体が被告となるという当事者適格とやっと整合性が取れるようになった(お恥ずかしいことだが、法理論上もやっとまともになった)。

001:各論1(どこの裁判所か):不開示決定の取消を求める訴訟はどの裁判所に提起できるか 2026.8.13

0、はじめにーー自省ーー
これまで情報公開法の文献(例えば宇賀の教科書)を読んできて、そんなものかと思ってこれを受け入れてきた。だが、今、それが「煮え切らない」「中途半端」なものに思えてならない。その根本的な理由は、「情報公開法をめぐる権利・利害の衝突」という現実認識の仕方がリアルではなく(※1)、リアルな衝突を曖昧模糊、漠然とした対立にぼかし、お茶を濁している。その結果、「両者の衝突をどう調整するのがベストか」という肝心の問題の評価、意味付けについてもリアルにできなくなる。そのように曖昧模糊のままで終わってしまう。こうして、すべてが「煮えきらず」「中途半端」「曖昧模糊」となる。この「煮えきらず」「中途半端」「曖昧模糊」の姿勢が「不開示事由」とは何かという情報公開法の最重要の法律問題の精緻な分析においても反映する(※2)。

※1)例えば行政が運営する研究機関(研究所)の研究成果や実験ノートについて、本来、当該研究機関は国民の税金で運営されているのだから、その研究成果や実験ノートを国民の前に分りやすく説明する責任がある。しかし、これを抽象的に「アカウンタビリティ」というだけでは、公開する必要性を実質的に裏付ける根拠としては「煮えきらず」「中途半端」「曖昧模糊」である。 

※2)しかし、翻って思うに、その原因はひとり行政法の学者たちだけの責任とは言えない。そもそも行政法の対象となる世界において、「法の支配」を従うべきはずの行政権力が、その本質的な振舞いは、「法の支配」を徹底して無視して、「法の支配」が登場する以前の自由専横に振舞うことを今もなお、様々な政治的な大義名分の名の下に、死に物狂いで目指し、その結果、「法の支配」から導かれる論理(ここでは「情報公開法をめぐる権利・利害の衝突」)を詭弁論理を駆使して、徹底して曖昧模糊に無意味なものに変質させることにひたすら努力すること、これが彼ら行政権力の今も変わらぬ宿命的な課題であり、その強烈なスタンスが、おのずと(行政権力との良縁に腐心する)行政法の学者たちにも影響を及ぼしているからである。その意味で、我々は、行政の「現実と論理」を「幻想と詭弁」に変質させることをめざす行政権力とその深い影響化にある世俗的行政法学者に対して、改めて、その徹底的な批判を通じて、行政の「現実と論理」に「リアルと○○」を再導入する。

例えば、市民が「使い勝手のよい」裁判。「使い勝手のよい」かどうかという表現は情緒的であり、曖昧で、意味が明確にされないおそれがある。そのような問題を回避するためには、正面から権利(人権)を打ち出すべきではないか。つまり、ここで、市民の「裁判を受ける権利」が最初から最後まで十分に守られるように制度設計された裁判かどうかを問う。
つまり、
そもそも市民が自身の権利を守るために「裁判を受ける権利」が憲法で保障されている。
それゆえ、「裁判を受ける権利」が絵に描いた餅に終わるようでは、自身の権利を守ることすらできない。
それゆえ、市民が自身の権利を守るためには「裁判を受ける権利」が絵に描いた餅に終わらないように、「裁判を受ける権利」が裁判の最初から最後まで現実に十分に守られるように制度設計される必要がある。
その最初のひとつが管轄、つまり訴えを起す裁判所がどこかである。ここで原告となる市民にとって特段の不自由なしに提訴できるように提訴する裁判所がどこかを決める必要がある。もし、提訴する裁判所が原告の住まいから遠方にあるのでは、事実上、提訴が不可能となり、「裁判を受ける権利」が絵に描いた餅に終わるから。
しかし、信じられないことだが、この当たり前の市民本位の考え方は、戦後民主主義の中でも、ごく最近(2004年)に至るまでずっと無視され、行政本位の考え方(行政庁を訴えるんなら、行政庁のある所在地の裁判所まで市民が訴えに来いと)がまかり通ってきた。
これはまさにカフカの不条理の掟の世界の再現だ。

1、結論

原告の住所地(=原告の普通裁判籍)を管轄する高等裁判所、その高裁の所在地を管轄する地方裁判所にも提訴できる(行政事件訴訟法12条4項。2004年改正で新設)

【具体例】
原告の住所地が都内のとき。→都内を管轄する高裁は東京高裁。従って、東京高裁の所在地(東京都千代田区霞が関‥‥)を管轄する地裁は東京地裁。ゆえに、東京地裁にも提訴できる。

2、歴史

2004年改正前の行政事件訴訟法12条1項は「行政庁を被告とする取消訴訟は、その行政庁の所在地の裁判所の管轄に属する」(2004年法改正の新旧対比表>こちら

【具体例】都内に住む原告が福島県の不開示決定の取消を求めて提訴する場合→被告福島県の住所地が福島市‥‥だから、裁判所は福島市‥‥を管轄する福島地裁。
つまり、わざわざ福島地裁まで出向いていく必要あり。それは市民にとって余りに負担が大きく、市民の「裁判を受ける権利」が入り口のところで既に絵に描いた餅にされていると批判された。その批判の高まりの中で、原告の住所地を基準とする新たな管轄制度が追加(それが12条4項)。

3、管轄の構造--行政事件訴訟法12条--

(1)、一般論:同条1項
被告の住所地が原則。ただし、2004年法改正で、国の機関の処分の取消しを求める訴訟の被告は処分を下した機関ではなく、国となった。その結果、裁判所は国の住所地を管轄する東京地裁、もしくは2004年法改正以前の被告だった「処分を下した機関」、その住所地を管轄する地裁のいずれかとした。
その上で、実務上は最も重要な「市民本位の管轄」の導入を、あくまでも特例として4項に追加した←こんな重要な新たな管轄の導入なのだから、本来なら堂々と冒頭の1項に掲げるべきである。にもかかわらず、特例という例外扱いをした。ここにも依然、政府側の「市民本位の管轄」を敵視する反国民主権的、反民主主義的なスタンスが如実に現れている。

(2)、特例:同条4項
その上で、1項の例外(特例)として、原告の住所地を基準にした(※3)裁判所に提訴することを認めた。

3)とはいえ、シンプルに、原告の住所地を管轄する地方裁判所に提訴を認めなかった。それだと、今度は行政(国・自治体)側の応訴の負担が大きすぎるという理由で(もし本当に原告の提訴の負担に対し、被告の応訴の負担が不均衡なまでに大きいのなら、そのとき、被告は移送の申立をして是正する道がある。だから、本当に大きすぎるのか、なお多いに疑問)。そこで、両者の負担の均衡のため、間を取って、原告の住所地を管轄する高裁がある地裁に提訴を認めるとした。これだと沖縄に住む人なら、福岡高裁のある福岡地裁に提訴となり、なおもそれ相当の負担がある。

000:スタート:311後の情報公開法はどこに向かうべきか 2026.8.13

311後の情報公開法はどこに向かうべきか?
それを問うためには、次の2つを問う必要がある。
1、情報公開法はどこからやって来たのか、その起源は何かを問うこと。
2、情報公開法は前代未聞の311原発事故で、いかなる前代未聞の法律問題に直面したのか。

2について、さらに2つの法律問題がある。
(1)、ひとつは、311前の法律では311原発事故の事態を想定しておらず、法の穴(欠缺)が発生したこと、
(2)、もうひとつは、311前の法律で定めていた法規範を311原発事故の事態に適用することが国策遂行上で重大な不都合をもたらすため、ありとあらゆる詭弁を動員してその不適用を正当化しようとしたこと。
    ↑
私は、これまで主に(1)の「法の欠缺」について検討してきた。
しかし、今、主に(2)についても検討する必要を痛感している。その重要なテーマが情報公開法。
この問題意識から、「311後の情報公開法はどこに向かうべきか」について明確化をめざすのがこのノート作成の目的。

013:各論3(いかに市民に告知・アピールするか):第三次実験ノート提訴時の記事 2026.8.26

情報公開裁判の目的は裁判自体の勝訴というより、裁判を通じ、政府が隠蔽している情報が市民にとってどれくらい重大な、重要なものであるかをひとりでも多くの市民に認知、理解してもらうことにある。 そのためには、情報公開裁判を市民にどう知らせるか、その告知の仕方がとても重要。つまり、市民に...