以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその5。
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Subject: [2019maxlaw:2392] 行政裁量論の基本問題(9):歴史的考察(続き4):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める(添付ファイルの解説)
Date: Mon, 10 Jan 2022 22:10:19 +0900
柳原です。
先ほど、日本の行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる論争史を4つの段階で区切ってみると、次のように言えるのではないかと書きました。
【第1期】貴族の改革(と挫折):戦前の大正デモクラシーの理論家でもある美濃部達吉、佐々木惣一らの明治憲法下における「法律の留保」論←しかし、天皇機関説、京大事件などで彼らは追放、迫害に遭い、挫折。
【第2期】大衆の変革:ポツダム宣言受諾後に、天皇主権から人民主権に憲法が大転換を遂げ、この大転換に相応しく、どれだけ行政法も転換するかをめぐる論争→羈束行為か自由裁量か(黒(拘束)か白(自由)かをめぐる)論争
【第3期】支配者の反動:終戦から5年後にGHQの反動、再軍備スタート。共産党員の追放(「追放」をめぐるあべこべの事態出現)、憲法改正論議。民主化の春の終焉を受け、行政法の裁量論も羈束行為か自由裁量かを相対化し、結果的に自由裁量論の復活(田中学説)。
【第4期】激動の再定義:311の激動を契機に、この間の行政法学者の停滞、思考停止を打破し、未完の革命である「憲法の大転換に即して行政法の大転換」の継続・再定義に向かう。
そして、この論争史の4つの段階を図示したファイルを添付しましたが(後注:末尾の画像の通り)、解説が何もないと折角の図示が分らないので、解説します。
戦前から戦後にかけて(第1期から第2期)、行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる議論は、もっぱら、
「当該行政庁の措置は羈束行為か自由裁量か」
として論じされてきました。この論点の形自体に戦前と戦後で「切断」はありません。
ところで、図は座標軸のようなものを意識して、いわゆるX軸に、この論争に対する学者の見解をⓐからⓖまで、並べました。
各見解の名称とその中身は、添付の杉村敏正の『「法律の留保」論に関する覚え書』の31頁以下に解説してあります。
そのイメージは、
ⓐは明治憲法下における美濃部らの見解で、基本的に「人民の自由と財産を侵害する行政の行為は、法律の定めによることを要する」というものです。
ⓐから左側に行くにつれ、羈束行為である範囲が拡大して行き、一番左のⓖは「完全全部留保説」といわれるもので、かつて杉村が主張し、のちに厳しすぎるというので、ⓕの「原則的完全全部留保説」に修正したものです。
↑
ともあれ、ⓐからⓖまで7つの見解の共通点は、「羈束行為か自由裁量か」を問うものであることです。その際、人民主権に大転換した日本国憲法の基本原理を最大限活かしたいと考える者は限りなく左側に近づいていきました。
↑
そこからみると、そのあとの第3期の議論の枠組みは、或る種の困惑を与えます。
折角、いかにして自由裁量の余地を狭めようと努力してきたのに、その努力がまるで水の泡になるような気分に襲われるからです。
この点について、この間、読んできた亘理格という行政法学者は、単に、この問題への接近の仕方が変化したと言うばかりで、なぜ、どうしてそのように変化したのか、その必然性、必要について、その理由を明らかにしません。だから、ものすごく消化不良でムカつく。
↑
そして、第3期の最大の問題は、行政裁量論の問題を、新たな視点で捉え直した結果、当該措置が違法になるのは、結局のところ、昔から言われてきた「裁量権の逸脱・濫用」の場合に限られる、という手法が正当な理由を明らかにすることもなく、何気なく復活し、でんと定着してしまったことです。
↑
この第3期における最大の特徴が、新たな視点で問題を立てた結果、当該措置の違法は「裁量権の逸脱・濫用」の場合だという見解です。これこそ歴史の4つの段階の3番目「支配者の反動」に相応しい反動的な理論です。
この古典的な保守反動の議論を打破するために、改めて「行政裁量論の再定義」に挑戦し、「裁量権の逸脱・濫用」論に風穴を開けるべく、励む必要がある。それが今、第4期の中にいる私たちのミッションです。
Subject: [2019maxlaw:2392] 行政裁量論の基本問題(9):歴史的考察(続き4):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について4つの段階に分けて眺める(添付ファイルの解説)
Date: Mon, 10 Jan 2022 22:10:19 +0900
柳原です。
先ほど、日本の行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる論争史を4つの段階で区切ってみると、次のように言えるのではないかと書きました。
【第1期】貴族の改革(と挫折):戦前の大正デモクラシーの理論家でもある美濃部達吉、佐々木惣一らの明治憲法下における「法律の留保」論←しかし、天皇機関説、京大事件などで彼らは追放、迫害に遭い、挫折。
【第2期】大衆の変革:ポツダム宣言受諾後に、天皇主権から人民主権に憲法が大転換を遂げ、この大転換に相応しく、どれだけ行政法も転換するかをめぐる論争→羈束行為か自由裁量か(黒(拘束)か白(自由)かをめぐる)論争
【第3期】支配者の反動:終戦から5年後にGHQの反動、再軍備スタート。共産党員の追放(「追放」をめぐるあべこべの事態出現)、憲法改正論議。民主化の春の終焉を受け、行政法の裁量論も羈束行為か自由裁量かを相対化し、結果的に自由裁量論の復活(田中学説)。
【第4期】激動の再定義:311の激動を契機に、この間の行政法学者の停滞、思考停止を打破し、未完の革命である「憲法の大転換に即して行政法の大転換」の継続・再定義に向かう。
そして、この論争史の4つの段階を図示したファイルを添付しましたが(後注:末尾の画像の通り)、解説が何もないと折角の図示が分らないので、解説します。
戦前から戦後にかけて(第1期から第2期)、行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる議論は、もっぱら、
「当該行政庁の措置は羈束行為か自由裁量か」
として論じされてきました。この論点の形自体に戦前と戦後で「切断」はありません。
ところで、図は座標軸のようなものを意識して、いわゆるX軸に、この論争に対する学者の見解をⓐからⓖまで、並べました。
各見解の名称とその中身は、添付の杉村敏正の『「法律の留保」論に関する覚え書』の31頁以下に解説してあります。
そのイメージは、
ⓐは明治憲法下における美濃部らの見解で、基本的に「人民の自由と財産を侵害する行政の行為は、法律の定めによることを要する」というものです。
ⓐから左側に行くにつれ、羈束行為である範囲が拡大して行き、一番左のⓖは「完全全部留保説」といわれるもので、かつて杉村が主張し、のちに厳しすぎるというので、ⓕの「原則的完全全部留保説」に修正したものです。
↑
ともあれ、ⓐからⓖまで7つの見解の共通点は、「羈束行為か自由裁量か」を問うものであることです。その際、人民主権に大転換した日本国憲法の基本原理を最大限活かしたいと考える者は限りなく左側に近づいていきました。
↑
そこからみると、そのあとの第3期の議論の枠組みは、或る種の困惑を与えます。
折角、いかにして自由裁量の余地を狭めようと努力してきたのに、その努力がまるで水の泡になるような気分に襲われるからです。
この点について、この間、読んできた亘理格という行政法学者は、単に、この問題への接近の仕方が変化したと言うばかりで、なぜ、どうしてそのように変化したのか、その必然性、必要について、その理由を明らかにしません。だから、ものすごく消化不良でムカつく。
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そして、第3期の最大の問題は、行政裁量論の問題を、新たな視点で捉え直した結果、当該措置が違法になるのは、結局のところ、昔から言われてきた「裁量権の逸脱・濫用」の場合に限られる、という手法が正当な理由を明らかにすることもなく、何気なく復活し、でんと定着してしまったことです。
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この第3期における最大の特徴が、新たな視点で問題を立てた結果、当該措置の違法は「裁量権の逸脱・濫用」の場合だという見解です。これこそ歴史の4つの段階の3番目「支配者の反動」に相応しい反動的な理論です。
この古典的な保守反動の議論を打破するために、改めて「行政裁量論の再定義」に挑戦し、「裁量権の逸脱・濫用」論に風穴を開けるべく、励む必要がある。それが今、第4期の中にいる私たちのミッションです。
※行政裁量論をめぐる行政法学の論争史(2022年1月10日)


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