2026年8月23日日曜日

004:総論2(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察歴史的考察(続き):「憲法の大転換」と行政法以外の法律との対応関係:「民法の大転換」を当然のことのように考えていた 2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその2。

-------- Forwarded Message --------
Subject: [2019maxlaw:2389] 行政裁量論の基本問題(6):歴史的考察(続き):「憲法の大転換」と行政法以外の法律との対応関係:「民法の大転換」を当然のことのように考えていた
Date: Mon, 10 Jan 2022 12:10:35 +0900

柳原です。

昨日、
第二次大戦後の日本の法体系は、1945年8月のポツダム宣言受諾から始まった「憲法の大転換」、これを上位規範として各法律がどれだけ「憲法の大転換」に対応する大転換を行ったか、という視点から行政法を眺めた場合、その未民生ぶり、不完全ぶりは歴然としている、
ということを書きました。

行政法の「未完の大転換」ぶりを口をすっぱく説いた一人が、今は亡くなってしまった杉村敏正であり、今村成和たちだったことも知り、勇気付けられました。

この行政法の「未完の大転換」ぶりは、民法と比較した時、その違いが歴然とする。
それは我妻栄の民法講義Ⅰの冒頭に明確に示されています。
我妻曰く、
旧民法の親族・相続編が個人の尊厳を犠牲にした「家」制度に立ち、父と母、夫と妻、息子と娘の間の本質的平等を否定する多くの規定が設けられていたことを猛省し、戦後すぐに、親族・相続編の全面的改正を行い、それまでの「家」制度を徹底的に清算した。
形式的な自由・平等の原理を現実社会に適用した結果、貧富の格差、生存を脅かされるという深刻な問題を生じたことを猛省し、私権は社会化されなければならないという見地から、農地法、借地借家法、労働法の創設を行い、形式的な自由・平等がもたらす弊害に対し徹底的に対処した。
      ↑
そして、これらの法改正、法制定に積極的に関与したのが、この我妻栄その人です(もっとも、労働法の分野は先輩の民法学者末弘厳太郎ですが)。この意味で彼は、知行合一の人、本当の知は実践を伴わなければならないという教えを自ら実行した学者だった。
これに対し、行政法の学者はどうだったか?

戦後の民法学をリードしたのが我妻栄だとしたら、行政法学をリードしたのは田中二郎です。
その田中二郎は、上に述べた我妻栄が民法でおこなった「憲法の大転換」に対応する「民法の大転換」と比べられるような、「行政法の大転換」をやっただろうか?
田中二郎の足跡を詳細に追ったわけではないので、即断はできませんが、今まで読んだ限りでは、彼がとても「行政法の大転換」をやったとは思えない。
それは、彼の行政法に対する学問的姿勢から、如実にうかがわれるからです。
田中は、1957年に書いた「行政法総論」の中で、
「法律による行政」が及ぶ範囲は行政権の全てではなく、直接人民の権利義務に関係のない行政作用については、明示の法律の根拠に基づくことを要しないと解すべきである。また、人民の権利義務に関係のある場合でも、人民に補助、奨励的措置をなし、各種施設を設けて人民の使用に供することは、本来は、行政の自由活動に属する。
      ↑
この自説について参考文献として上げているのが、美濃部達吉、佐々木惣一‥‥の書で、それらはいずれも旧憲法下で構想された行政法の原理に関するもので、田中は、憲法が8月革命により大転換を遂げた事実なぞ存在しなかったかのように、平気で、戦前の学説を自説の根拠として紹介しているからです。
つまり、田中の頭の中では、戦前の行政法も戦後の行政法と連続していて、そこには我妻栄が民法で、徹底的な清算を試みたような「切断」の意識が皆無です。
戦後の行政法をリードした田中二郎からして、その頭の中は、戦前の行政法の基本原理のままの、旧態依然たるボンクラ頭であったため、彼をリーダーと仰ぐ弟子どもの頭の中も推して知るべしでした。
(以上の田中二郎の正体をズバリ指摘した杉村敏正の覚書『「法律の留保」論に関する覚え書』を添付します)

かくして、「未完の革命」にとどまっている行政法は、戦後も(杉村敏正や今村成和たちが頑張ったにも関わらず、それを遂に多数派には至らず)ずっと、この問題を解決できないまま、「行政庁の行政処分の現状を追認」するだけで、推移してきたのではないかと思います。

歴史は一人や二人で作るものではありませんが、20代の座右の書が「資本論」だった我妻栄が「民法の大転換」を果たせたことが、行政法のリーダーの田中二郎にできなかったことは「思想」の力の差があるのかなと思わざるを得ません。

最後は蛇足でした。

ちなみに、日本は第二次大戦後に過去を清算し、民主主義国家として再出発したと一般に言われていますが、しかし、日本の法体系のうち著作権法に関しては全く当てはまりません。
戦前の著作権法が戦後もずっと生き延び、そして今なお亡霊のように生きています。
そこには、旧民法の親族・相続編が個人の尊厳を犠牲にした「家」制度に立ったのと同様、クリエーターという個人の尊厳を犠牲にした「著作権」制度に立脚し、今なお「契約自由の原則」の名の下に、クリエーターと・アーティストと著作権ビジネスの企業との間の経済的格差が野放しのままです。
日本の著作権法は、日本が「世界の人権の最貧民国」の仲間であることを明確に示した、我々の恥部です。
著作権法を専門にやってきて、ずっとそのことを感じてきましたが、ここに来て、我々の恥部はほかにもあることが分りました。言うまでもなく行政法です。

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