0、はじめにーー自省ーー
これまで情報公開法の文献(例えば宇賀の教科書)を読んできて、そんなものかと思ってこれを受け入れてきた。だが、今、それが「煮え切らない」「中途半端」なものに思えてならない。その根本的な理由は、「情報公開法をめぐる権利・利害の衝突」という現実認識の仕方がリアルではなく(※1)、リアルな衝突を曖昧模糊、漠然とした対立にぼかし、お茶を濁している。その結果、「両者の衝突をどう調整するのがベストか」という肝心の問題の評価、意味付けについてもリアルにできなくなる。そのように曖昧模糊のままで終わってしまう。こうして、すべてが「煮えきらず」「中途半端」「曖昧模糊」となる。この「煮えきらず」「中途半端」「曖昧模糊」の姿勢が「不開示事由」とは何かという情報公開法の最重要の法律問題の精緻な分析においても反映する(※2)。
(※1)例えば行政が運営する研究機関(研究所)の研究成果や実験ノートについて、本来、当該研究機関は国民の税金で運営されているのだから、その研究成果や実験ノートを国民の前に分りやすく説明する責任がある。しかし、これを抽象的に「アカウンタビリティ」というだけでは、公開する必要性を実質的に裏付ける根拠としては「煮えきらず」「中途半端」「曖昧模糊」である。
(※2)しかし、翻って思うに、その原因はひとり行政法の学者たちだけの責任とは言えない。そもそも行政法の対象となる世界において、「法の支配」を従うべきはずの行政権力が、その本質的な振舞いは、「法の支配」を徹底して無視して、「法の支配」が登場する以前の自由専横に振舞うことを今もなお、様々な政治的な大義名分の名の下に、死に物狂いで目指し、その結果、「法の支配」から導かれる論理(ここでは「情報公開法をめぐる権利・利害の衝突」)を詭弁論理を駆使して、徹底して曖昧模糊に無意味なものに変質させることにひたすら努力すること、これが彼ら行政権力の今も変わらぬ宿命的な課題であり、その強烈なスタンスが、おのずと(行政権力との良縁に腐心する)行政法の学者たちにも影響を及ぼしているからである。その意味で、我々は、行政の「現実と論理」を「幻想と詭弁」に変質させることをめざす行政権力とその深い影響化にある世俗的行政法学者に対して、改めて、その徹底的な批判を通じて、行政の「現実と論理」に「リアルと○○」を再導入する。
例えば、市民が「使い勝手のよい」裁判。「使い勝手のよい」かどうかという表現は情緒的であり、曖昧で、意味が明確にされないおそれがある。そのような問題を回避するためには、正面から権利(人権)を打ち出すべきではないか。つまり、ここで、市民の「裁判を受ける権利」が最初から最後まで十分に守られるように制度設計された裁判かどうかを問う。
つまり、
そもそも市民が自身の権利を守るために「裁判を受ける権利」が憲法で保障されている。
それゆえ、「裁判を受ける権利」が絵に描いた餅に終わるようでは、自身の権利を守ることすらできない。
それゆえ、市民が自身の権利を守るためには「裁判を受ける権利」が絵に描いた餅に終わらないように、「裁判を受ける権利」が裁判の最初から最後まで現実に十分に守られるように制度設計される必要がある。
その最初のひとつが管轄、つまり訴えを起す裁判所がどこかである。ここで原告となる市民にとって特段の不自由なしに提訴できるように提訴する裁判所がどこかを決める必要がある。もし、提訴する裁判所が原告の住まいから遠方にあるのでは、事実上、提訴が不可能となり、「裁判を受ける権利」が絵に描いた餅に終わるから。
しかし、信じられないことだが、この当たり前の市民本位の考え方は、戦後民主主義の中でも、ごく最近(2004年)に至るまでずっと無視され、行政本位の考え方(行政庁を訴えるんなら、行政庁のある所在地の裁判所まで市民が訴えに来いと)がまかり通ってきた。
これはまさにカフカの不条理の掟の世界の再現だ。
1、結論
原告の住所地(=原告の普通裁判籍)を管轄する高等裁判所、その高裁の所在地を管轄する地方裁判所にも提訴できる(行政事件訴訟法12条4項。2004年改正で新設)
【具体例】
原告の住所地が都内のとき。→都内を管轄する高裁は東京高裁。従って、東京高裁の所在地(東京都千代田区霞が関‥‥)を管轄する地裁は東京地裁。ゆえに、東京地裁にも提訴できる。
2、歴史
2004年改正前の行政事件訴訟法12条1項は「行政庁を被告とする取消訴訟は、その行政庁の所在地の裁判所の管轄に属する」(2004年法改正の新旧対比表>こちら)
【具体例】都内に住む原告が福島県の不開示決定の取消を求めて提訴する場合→被告福島県の住所地が福島市‥‥だから、裁判所は福島市‥‥を管轄する福島地裁。
つまり、わざわざ福島地裁まで出向いていく必要あり。それは市民にとって余りに負担が大きく、市民の「裁判を受ける権利」が入り口のところで既に絵に描いた餅にされていると批判された。その批判の高まりの中で、原告の住所地を基準とする新たな管轄制度が追加(それが12条4項)。
3、管轄の構造--行政事件訴訟法12条--
(1)、一般論:同条1項
被告の住所地が原則。ただし、2004年法改正で、国の機関の処分の取消しを求める訴訟の被告は処分を下した機関ではなく、国となった。その結果、裁判所は国の住所地を管轄する東京地裁、もしくは2004年法改正以前の被告だった「処分を下した機関」、その住所地を管轄する地裁のいずれかとした。
その上で、実務上は最も重要な「市民本位の管轄」の導入を、あくまでも特例として4項に追加した←こんな重要な新たな管轄の導入なのだから、本来なら堂々と冒頭の1項に掲げるべきである。にもかかわらず、特例という例外扱いをした。ここにも依然、政府側の「市民本位の管轄」を敵視する反国民主権的、反民主主義的なスタンスが如実に現れている。
(2)、特例:同条4項
その上で、1項の例外(特例)として、原告の住所地を基準にした(※3)裁判所に提訴することを認めた。
(※3)とはいえ、シンプルに、原告の住所地を管轄する地方裁判所に提訴を認めなかった。それだと、今度は行政(国・自治体)側の応訴の負担が大きすぎるという理由で(もし本当に原告の提訴の負担に対し、被告の応訴の負担が不均衡なまでに大きいのなら、そのとき、被告は移送の申立をして是正する道がある。だから、本当に大きすぎるのか、なお多いに疑問)。そこで、両者の負担の均衡のため、間を取って、原告の住所地を管轄する高裁がある地裁に提訴を認めるとした。これだと沖縄に住む人なら、福岡高裁のある福岡地裁に提訴となり、なおもそれ相当の負担がある。
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