2026年8月23日日曜日

008:総論6(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察(ラスト):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について反動期の誕生の理由

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその6。

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Subject: [2019maxlaw:2394] 行政裁量論の基本問題(10):歴史的考察(ラスト):「311後の行政法学はどこにいるのか、どこに向かうのか」について反動期の誕生の理由
Date: Mon, 10 Jan 2022 23:06:38 +0900
From: Toshio Yanagihara <noam@topaz.plala.or.jp>
Reply-To: 2019maxlaw@googlegroups.com
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柳原です。

先ほど来、日本の行政法の「法律による行政」の原理の妥当範囲をめぐる論争史を4つの段階で区切って検討して来ました。

現時点の課題は、第3期の反動期を克服することですが、その際にずっとその理由が分らず気になっていることがあります。それが、
行政裁量論の問題の設定の仕方を、それまでの「あれかこれか」(羈束行為か自由裁量か)から、「あれでもこれでもなく、さらにその奥がある」といった新しい次元の切り口に進んでいったとき、
そこで、なぜ、「裁量権の逸脱・濫用」論が復活してのさばっているのか、です。

問題設定を新しい次元の切り口にしたからといって、そこから論理必然的に「裁量権の逸脱・濫用」論が登場する理由はないからです。

しかし、言いにくいことですが、その訳も意外と簡単なのではないかと気が付きました。
第3期に突入した時点で、新しい次元の切り口で問題を設定した時、求められていたことは、この新しい次元の切り口での問題提起に対し、それに相応しい問題解決の判断基準を建てることでした。
しかし、思うに、行政法の学者先生は、この課題に応えるべく、新しい判断基準を提出しなかった(本人たちは出来なかったと感じているのでしょうが)。
その結果、問題解決の判断基準の部分が空白となり、いわば「法の欠缺」状態となってしまった。
しかし、新しい次元の切り口で問題を提起した以上、何かしらの判断基準を使って解決を引き出すことが避けられない。そこで、その時に登場したのが、昔から口にされてきた古色蒼然たる理論「裁量権の逸脱・濫用」論だった。
これが魅力的な理論ではないことは、判断を迫られた現場の裁判官たちも重々承知していたはずです。しかし、じゃあ、自分で独力で、この問題解決の判断基準を作り出すなんて、藤山裁判官以外は無理。そこで、彼らは、(しぶしぶかまあ、いいか思ったかは別にして)「裁量権の逸脱・濫用」論を使うことにした。

こうした判決の積み重ねが、とうとう、「裁量権の逸脱・濫用」論の堂々たる復活となって、ゆるぎない地位を占めるに至った、というわけです。

この事態を見て、塩野は「裁量権の逸脱・濫用」論が定着していると教科書で嘆いていましたが、それを言うんだったら、学者として飯を食っている自己批判が先だろと言いたい。
あんたみたいな学者が、新しい次元の切り口で問題提起したことに相応しい問題解決の判断基準を出してくれないから、判断基準の「法の欠缺」状態を回避するために、裁判官は裁量権の逸脱・濫用」論によるしかなくなり、そのうち、それが習い性みたいになってしまった。

今の事態を嘆く前に、己の非力さを猛省して、師匠の田中二郎も不徹底だった「憲法の大転換に匹敵するだけの行政法の大転換」という原点に立ち返って、この問題に対する新たな判断基準を建てることに励むべきです(塩野は90歳でまだ生きているので、彼のケツを叩いている)。

そして、この問題に対する新たな判断基準を建てた人がいる。白石裁判長らの日光太郎杉事件判決です。
尤も、亘理格という行政法学者は、その後の裁判官たちが、この白石コートの判決を踏襲しようとしなかったことをなじっていますが、必ずしもそうとは思いません。
小田急高架化訴訟でも一審の藤山判決もこれをひっくり返した高裁判決も共に日光太郎杉事件判決のロジックを使っているし、
先日の沖縄の辺野古埋め立て工事の裁判で、最高裁の多数意見と反対の少数意見はともに、日光太郎杉事件判決のロジックを使っている。
要するに、どちらにも使えるような未完成の判断基準の面があり、そこで、「憲法の大転換に即して行政法の大転換」という基本原理からその未完を完成させる必要がある。

ここに、行政裁量論の具体的問題の課題が示されていると思いました。

以上で基本問題の検討は終わり。

塩野にボロクソでしたが、では、この各論の道を突き進みたいと思います。

 

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