2026年8月23日日曜日

003:総論1(行政法の停滞・思考停止の理由)歴史的考察:なぜ行政法学はかくも停滞、思考停止しているのか(その1):革命と反革命 2026.8.24

以下は、子ども脱被ばく裁判二審で行政裁量論が中心テーマとなった時の弁護団MLに投稿したものその1。

なお、これに対し必ず次の異論が出るだろうーー行政裁量論と情報公開法の解釈とは、片や法の及ばない裁量論、片や法の解釈論であり、そもそも次元の異なる法律問題であるから、参考にならないと。だが、どちらもその問題の動機・背景(イデオロギー性)は同一であり(いずれも、いかに「法の支配」から行政権力の自由(厳密には恣意)を確保するかである)、単にその法的テクニック(裁量か法か)のちがいにすぎない。その意味で、情報公開法の解釈の本質的課題を自覚するためには、一度は、行政法の最大の論点である行政裁量論の論争史を把握しておくことが不可欠である。

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Subject: [2019maxlaw:2388] (誤字の訂正)行政裁量論の基本問題(5):歴史的考察:なぜ行政法学はかくも停滞、思考停止しているのか(その1):革命と反革命
Date: Mon, 10 Jan 2022 01:46:47 +0900

柳原です。

年末から読み始めた亘理格という行政法学者の、日本とフランスの行政裁量論を対比した「公益と行政裁量」、この最後のところを読んでいて、だんだんムカついてきて、ダメだ、これは。結局、ああでもない、こうでもないとグジャグジャ言っているだけで、論理の重箱の隅をつつくような煩瑣な議論に心底腹が立ってきました。
そして、この本で紹介していた、日光太郎杉高裁判決の先駆けとなった学説を以下のとおり紹介していたので、自宅近くの図書館で、その続編を借りて、読んだところ、目からウロコ、なんだ、こんなに単純明快な議論をする行政学者が日本にもおったのかと感激。
杉村敏正「法の支配と行政法」

しかも、この杉村が編集した行政法概説〈総論〉 (有斐閣双書) も、法治主義について明快な解説がしてあって、塩野や宇賀の教科書とは比較にならないなとこれまでの考えを改めました。
それに加えて、昔読んだ今村成和の行政法入門を再読したら、これも法治主義についてすこぶる明快な解説をしてあったのを発見。
これに比べたら、塩野も小早川も宇賀も歯切れの悪さがダントツ。
冒頭に紹介した亘理格は北大で、今村成和と一緒だったはずなのに、一言も今村のことが出てこない。これは意図的にスルーしているとしか思えない、それが彼の本の歯切れの悪さとリンクしている。

肝心な問題は、なにをもって「歯切れの悪さ・良さ」と言っているかですが、それは、
日本の行政法が根本的ないびつさを帯びていることについて、その原因の認識・解明に立ち向かっているか否かです。
その課題から逃げている学者の議論は歯切れの悪さが歴然としている。これに対し、その課題に立ち向かっている学者の議論は(仮にその見解が100%正しいかどうかは別にして)極めて明快です。
後者の筆頭が杉村敏正です。
この課題に対する彼の回答は、次の2つのロジックで構成される。
第1は理論的な問題。行政法の基本原理は、その上位規範である憲法の基本原理に基づき構成される。従って、憲法の基本原理が何であるかが決定的に重要である。
第2は歴史的な問題。日本の憲法は1945年8月のポツダム宣言受諾によりそれまでの天皇主権の立憲君主憲法から人民主権の民主主義憲法に大転換した。主権が天皇から人民に変更されたという意味で、これは革命である(憲法学の通説では八月革命と呼ぶ)。
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以上の2つから、日本において、行政法の基本原理を決定する憲法が1945年の8月革命により天皇主権から人民主権に大転換したのであるから、この「憲法の大転換」は本来であれば「行政法の大転換」をもたらすはずのものであった。
       ↑
しかし、現実の進行はそうはならなかった。
憲法自身は(日本政府が作成した松本案がGHQにより許否、GHQによりマッカーサー草案が作成され、これに基づいて政府が憲法草案を練り上げたという紆余曲折があったにせよ)ポツダム宣言に沿って、人民主権を明確にした憲法が制定された。
にもかかわらず、この「憲法の大転換」という考え方に即して、「行政法の大転換」まで実行されなかった。その背景にはGHQは行政法まで、憲法と同様の関心、注目を注いで「行政法の大転換」を監視しなかったせいがある。
その上、当の日本の市民自身が天皇主権を否定し、人民主権に立つことを実感、自覚することは容易ならざる(思想)問題だったという事情がある。
加えて、当時の行政権力を握っていた連中が、自分たちの行政権力を人民にやすやすと明渡すまいと必死の抵抗を試みたこと、つまり憲法の8月革命に対する反革命に打って出たことは(歴史の検証をしていないが)容易に推察されることである。 
       ↑
突き詰めて言えば、第二次大戦後の日本の市民革命の力量のレベルが、「行政法の大転換」まで引き起こすに至らなかったことを意味する。
この点を理解する上で、参考になるのが、日本と同様、それまで立憲君主制の憲法を持っていたオーストリアが第一次大戦後に行政法の転換を成し遂げた次の事実。
第一次大戦後までは、オーストリアの行政法は、「臣民の自由と財産権」の侵害の場合にのみ「法律の根拠」を要するとされて、「法律による行政」が及ぶ範囲が「自由と財産権」に限定されていたが、
第一次大戦の敗戦で、新たに共和国となり1920年に制定した共和国憲法18条1項は「すべての国家行政は法律の根拠にもとづいてのみ行使することができる」と定め、「法律による行政」が及ぶ範囲は行政権の全てと拡大された。つまり、行政の自由裁量論が否定された。
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丸山真男は、1946年に彼の戦後のデビュー作とされる「超国家主義の論理と心理」を書くのに半年間かかった、それは、それまで身についていた「天皇主権を否定するのは大変なことだったからだ」と告白している。
つまり、頭で「天皇主権を否定する」のは簡単かもしれないが、明治維新以来脈々と続いた「天皇主権を、思想として、実行として否定する」ことはそう簡単なことではなかった、むしろ大変なことだった。
その現れが、憲法では天皇主権から人民主権への大転換を認めながら、同時に、その具体化である行政法のレベルでは相も変わらず天皇主権的な発想である「行政権の自由な行使(自由裁量論)」がのさばることに強く抵抗しなかったことである。
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この意味で、憲法の大転換である8月革命は、行政法のレベルでは未完の革命にとどまっている。
その上、この「未完の革命」にとどまっているという認識すら「未完の認識」にとどまっている(無知、知らないでいる)。
そして、この「未完の革命」に対する無知な態度が、行政法学者の停滞、思考停止をもたらしている。
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その行政法学者の停滞、思考停止が、311のカタストロフィに対して、行政裁量に関する目を覆うような滅茶苦茶なロジックを平然と展開した昨年3月の遠藤判決に示されたように、行政法が全くといっていいほど無力、無気力であることの温床となっている。
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この行政法学者の停滞、思考停止を打破、風穴を開けるために、上に掲げた行政法の2つの基本問題に立ち帰って、「憲法の大転換」に相応しく、「行政法の大転換」を実行するという未完の永久革命(それは決まったゴールがないという意味で、終わりのない永久革命と呼ばれるのが相応しい)に遂行すべきである、と。

以下では、この観点に立って、議論を展開したいと思います(遅いので、別便で)。

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