0、問題の所在
001で書いた通り、人権である「裁判を受ける権利」をめぐる課題とはーー市民の「裁判を受ける権利」が十分に保障されるかどうかが個別具体的な場面に照らし問われる、という段階にある。
その裁判の最初の場面が管轄(どの裁判所に提訴できるか)であり、もう1つの場面が被告(誰を相手に提訴できるか)である。
1、結論
処分を下した特定の行政機関を被告にする必要はなく、一律に国で足りる。
2、 歴史
2004年の行政事件訴訟法の改正前までは、処分又は裁決をした「行政庁(処分庁・裁決庁)」自身を被告としなければならない旨を定めていた(11条1項。2004年法改正の新旧対比表>こちら)。
しかし、これだと、複雑な行政組織の中で一体「どの行政庁を被告にすればいいのか」、国民の側はすんなり理解できず、迷いの中にほおり込まれる。もっとシンプルに「国を被告とする」だけで足りるはず(被告となった国にとって、それが自分の行政組織のどこの紛争かはすぐ分るから)。これが市民本位の考え方だ。
ところが、信じられないことに、この当たり前の市民本位の考え方が、戦後民主主義の中でも、ごく最近(2004年)に至るまでずっと無視され、行政本位の考え方(国・自治体を訴えるんなら、国・自治体の中のどの行政庁かを市民が調べ上げて来いと)がまかり通ってきた。裁判しようにも肝心の相手に近づくことすら許されず、カフカの不条理の世界の再現だ。
3、被告(適格)の構造ーー行政事件訴訟法11条ーー
被告は、処分又は裁決をした「行政庁(処分庁・裁決庁)」ではなく、国となった。
それは一方で、市民本位の考え方に沿ったものであり、なおかつ、ほかの訴訟制度が採用している当事者適格の考え方、つまり民事訴訟や公法上の当事者訴訟では権利義務の主体が被告となるという当事者適格とやっと整合性が取れるようになった(お恥ずかしいことだが、法理論上もやっとまともになった)。
0 件のコメント:
コメントを投稿